〜12:00 買い物
〜13:00 昼食
〜14:00 寝かしつけ
〜17:00 おやつ・DIY
〜18:00 風呂
〜19:00 夕食
〜21:00 就寝
午前中、外に出ると人々はダウンやコートを着て歩いていた。私もベビーカーに乗る娘には着せているけれど、自分自身は着ていなかった。ニット一枚で歩いている人は、周りを見渡してもまったくおらず、ましてや女性なんて一人もいなかった。
ただ、アウターを着ていないのには理由があって、ベビーカーを押して歩いていると体が温まるし、なにより室内は暖房が効いていて、アウターを着ていると暑くなる。私はアウターを脱ぎ着したり、それを持ち運んだりする煩わしさが嫌で、やや肌寒いくらいの気温ならアウターは着ないのだった。
こういうところが、けれど浮いてしまう理由なんだろうな、と我ながら思う。周りがどうとか、普通はどうとかではなく、自分の煩わしさや論理を優先してしまうところ。それを、けれど個性に変換できるような愛嬌も成果物も私にはないので、煙たがられてしまうことが多かったように思う。どの組織にいてもいつも浮いていると言われ、言われるたびに、そうならないよう努力した。浮かない私でいようとすることは、けれど少しずつ私をすり減らしていった。
私のこんなところを長所だと言ったのは、後にも先にも夫ひとりだ。
そして、娘がベビーカーに座らない。
ベルトはしっかり留めているので、下からすり抜けることはできないと学んだのか、次は立ち上がることを覚えたのだった。
私も、どうやっても座らなかったと母から聞いたことがある。どうしてこんなにも似ているのだろう。まるでクローンを見ているようで、思わず苦笑してしまう。
ベビーカーに立つ娘を、私はいつも「立ち乗り娘」(波乗りピカチュウ、みたいな感じ)と呼んだ。それは大抵、夫に不満をこぼすときに使われた。
例えば外出から帰ったあと、「ほら、とーとに教えてあげて。私はきょうも立ち乗り娘だったのよって」というふうに。そう言ってはいつも、なんとなくバツが悪くなるのだけれど。
そんな私たち親子に、けれど周囲の目は温かかった。よく「あらまあ、立っているの。おてんばさんねえ」と笑って声をかけられたりした。危ないのだから座らせなさいとか、今時のお母さんは教育がなっていないのねとか、お叱りを受けることがあってもよさそうなのに、今のところそういったことは一切ない。ふふふと笑って、お母さん大変ね、がんばってね、という目配せをしてくれる。
良い街だなと思う。人があたたかい街というのは、それだけで完璧に良い街なのだと。

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